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近隣住区の都市デザイン(Urban design)の方法について~さあどうするこれからも盛岡第10回~ 

NPO都市デザイン総合研究センター理事長
(工学博士 岩手大学名誉教授) 安藤 昭

近年、我々は多くの危機に直面している。地球生態系保全の危機、社会規範崩壊の危機、社会組織溶解の危機、個人の心の空洞化をもたらす高度情報社会の危機がこれである。そして、2011年3月11日発生の東日本大震災は、これらのまちづくりの課題の克服を一層困難なものにしてしまった。
 そのため、都市計画法の新改正(平成4年;1992)によって、マスタープラン(基本方針)の確立や地区計画制度の拡充がなされてから23年、景観法の制定(平成16年;2004)から11年が経過したが、「都市計画」、「地区計画」、「近隣住区の景観・設計」という都市計画立案の一般的プロセスについて、首尾一貫した視座の下で実施したいという欲求が今ほど強く抱かれるときはない。
 ところで、都市を有機体として捉え、その構造を細胞的組織の結合体として認識し、計画概念としての近隣住区やコミュニティを有機体の健全な細胞的単位に類似させてデザインすることを主張したのはP.ゲデス(Patrik Geddes;1915)に始まると言われているが、住宅地の地区計画の原型として著名な近隣住区の理論(neighbourhood unit)は、その提唱者であるクラレンス・アーサー・ペリー(C.A.Perry)(1929)までさかのぼることができる。
C.A.ペリー提案の近隣住区計画はいわゆる地区計画そのものではなく、住居系地区の基礎単位に関する計画といえるもので、学校・公民館のような公共施設を地区の中心に配置して、近隣商業、公園を住居系地区の要所に合理的に配置し、自動車交通の影響を住区の中では極力減らすように街路網を構成する計画になっている。そのため、幹線道路は近隣住区の分断を避け、通過交通を防ぐように近隣住区の外周を通す。小学校を中心とする徒歩圏(半径1/4 Mail≒400m又は半径1/2 Mail≒800m)に居住する、校区人口(約1万人~5千人)を近隣住区の規模としている。
 C.A.ペリーの近隣住区の提案の評価には、1920年代のアメリカの都市の社会的背景を見逃すことは出来ないが、幾何学的で、閉鎖的な住区構成の提案はもはや現在の都市生活には適さないとするアイザックス、デューイ、ジェコブスなどの批判がある。一方において、コミュニティ計画の手法として枢要な部分を占めるとするルイス・マンフォードをはじめとする弁護者も多い。
ともあれ、高度情報化社会のもたらす生態学的、社会的、心理的心、つまり人類文化の様々な危機に直面して混沌としてきた今こそ、近隣住区の社会的機能ばかりでなく、住区をいつも眺め、その中で生活し、体験し、経験している、つまり住区を利用する人々の日常的な視点から整理し統合し、新たな生活景として再体制化(再構築)することが不可欠であると思われる。
さて,上述のような視点に立って,近隣住区の景観を人間(評価主体)と外界(都市)との間の視知覚的な関係性として捉えようとするとき,人間集団(コミュニティ-プライバシー)と都市の視知覚的環境(空間-景観)の2つの尺度を交差させると,近隣住区の大略の景観構成を描きだすことができる(図−1参照)。そして、本論では、図―1に示す ①生物的環境、②インフラ機能空間、③文化現象としての景観、及び④心理現象としての景観について、4つの視角から問題点と課題を浮き彫りにしながら、近隣住区の特性と都市計画マスタープラン(都市計画の基本方針)を基調に、①~④を時計回りにオーバーレイして逐次再体制化すれば、様々な危機に対して打たれ強く、機能的で、個性的で、美しい生活景が創造されることを提案しようとするものである。逐次付加される上層の機能ほど人間に特有のものであることは言うまでもない.
私が, 「都市とは人間(集団)の真の存在のための、胎生的進化の過程における風土の様相である」と定義して、市街地の用途別面積比率で約60%~70%を占める住居系地域の都市デザインに注目するのは、図―1の都市景観の構成の中に都市の本質と存在原理を見出すことができるからである。

図ー1都市景観の構成(その2)   近隣住区

日本一の中津川再発見〜さあどうするこれからの盛岡第9回〜 

日本一の中津川再発見
                都市デザイン総合研究センター理事 中澤昭典
「中津川は日本一の川である」。これは川の仕事に30年以上携わった河川技術者である私の個人的見解である。
 何がナンバーワンなのか。“自然が豊か?”、“安全性が高いか?”、“水質が良いか?”そういう基準に照らせば、もっと素晴らしい川は全国各所に存在する。それでは何をもって一番なのか。中津川は「人間と川がいい按配に共存している」というところが、日本一であると私が評価する点である。都市と川が、お互いに折り合いをつけて、それぞれを尊重しながら共存共栄しているのだ。
そのポイントを具体的に述べてみよう。
1.成熟した市民の意識が生み出す秀逸な都市景観「柵の無い川岸の道路」
中津川を川留稲荷付近から下流に向かって歩くと、中の橋までの間には川沿いの道路に柵がない。川岸の石積護岸は5分という急勾配で油断していると河原に転落する危険性もあるのだが、この近くで育った私をはじめとする盛岡市民はこの景色に違和感を持たない。しかし実は都市の中心部で車も通る河岸道路では非常に珍しい風景なのだ。「子供が落ちたらどうするんだ!」などど無粋な声を上げない成熟した盛岡市民の意識が生み出した、秀逸な都市河川景観である。
2.石積護岸が繋ぐ人工物と自然の不思議な調和“日常の秀景”
 中津川の護岸は花崗岩の石積である。与ノ字橋から中の橋方向を眺めてみよう。「水の流れ、団子石、河川敷、石積護岸、河畔樹木、橋、モダンなビル群」。石積護岸は時を経て、自然と人工都市景観の間を繋いで、不思議な収まりのある河川景観を創り出している。通勤・通学や買い物など、普段の生活の中でこういう風景に接することができる“贅沢”を盛岡市民は享受しているのだがその自覚はあまりないだろう。日常の当たり前の風景だからだ。就学や就職で盛岡を離れた子供たちが帰ってきたとき「盛岡はやっぱりいいなぁ〜」とあらためて感じるのはこういう風景なのだ。もっと評価して大切にすべき“日常の秀景”である。
3.市街地の広い河川敷を守る細やかな技術
 広い河川敷を有する川は珍しくもなんともない。しかし、市役所のすぐ裏手を流れ、市街地の中心部に広い河川敷を持つ川は稀である。そして、中津川の河川敷はあまり人工の匂いを感じさせない。しかし、全く工事が為されていないかと言えばそうではない。注意してみると河川敷を保護するために低水護岸が随処に設置されている。その工法は画一的ではなく、山岸小学校裏は籠に石を詰める工法、市役所裏の矢板工法や中の橋下流左岸部の巨石積工法など、目を凝らしてみると、水生生物や景観に配慮した技術がやり過ぎることなく、さりげなく施されている。川に対する畏敬のなせる技を見て取れる。

 このように、中津川は自然が豊かというわけではなく、社会と都市の変遷につれて、むしろ人工の手が多く加えられてきた川である。しかし、そのような変化の中で、川としてのアイデンティティーを守りながら人間生活環境と河川環境の折り合いをうまくつけてきている。
日本社会が近代化してきた過程において、都市のアイデンティティー構成要素としての川の存在感が薄れてきた歴史の中で、中津川はむしろその存在感を増大させてきた。今では盛岡の都市環境、都市景観を語る上で欠かせない。
橋の上から川を眺めるとき、川面を眺めるだけでなく、ちょっと遠くに視点を移してみよう。その時、あらためて我々は中津川が流れる、良いまちに住んでいることを再発見して幸せを感じるはずである。
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さりげなく清潔な街でありたい〜さあどうする!これからの盛岡(第8回)〜 

              都市デザイン総合研究センター 中村 正

春、レンゲツツジが際立っていたと思っていたら、今夏の立葵(タチアオイ)もとりわけ鮮やかで、清楚な盛岡を引き立てている。
盛岡を訪れる多くの人たちから「盛岡は道路にごみも少なく、緑も多く、清潔な感じがする。好ましい」とよく言われる。
ごみの集積場は、総じてどこも清潔に整頓されており、路上ポイ捨てなども見かけることは少ない。
散乱したごみを見かけることもあるが数時間後にはほぼきれいに始末されている。
先日、出勤途上のバス停で、無造作に捨てられたごみをさりげなく拾い、手にしたビニール袋に入れ、何事もなさ気に立ち去るご婦人を見かけた。きっとそうしたさりげない市井の人達の行為の重なりによって≪もりおか≫の清潔さは保たれているのであろう。
明治時代初期、盛岡に立ち寄った米国人E・S・モースの備忘録『日本その日その日・japan day by day』の中に、盛岡についての記述があったことを思いだし、読み返した。
『(福岡(二戸)を出てから‥‥)我々は狭い町を通って、大きな、そして繁華な盛岡の町に入った。町通の両側には、どっちかというと、くっつき合った人家と庭園とが並んでいる。立葵が咲き乱れて、清楚な竹の垣根越しに覗く。家はすべて破風の側を道路に向け、重々しく葺いた屋根を持ち、町全体に勤倹の空気が漂っていた。(‥‥)盛岡では河が広く、ここで我々は船に乗らなくてはならなかったが、船を雇うのには川岸にある製材所へ行けと教えられた。事務所は二階建で、部屋や衛生設備はこの上なく清潔であった。而もこれが、なんでもない製材所なのである!。 船と船頭とを雇う相談をしている最中に、実に可愛らしい皿に盛った、ちょっとした昼飯とお茶とが提供された。我々は盛岡にほんの短時間とどまり‥仙台に向け船旅にのぼった。』
「立葵。なんでもない製材所のこの上ない清潔。実に可愛らしい皿に盛った、ちょっとした昼飯とお茶。」に惹かれ、約150年前のさりげないおもてなしに新鮮さを感じた。これぞ盛岡らしいおもてなしだったのだろう。
美しい盛岡をめざし、国際化対応、国体を控えてなどの掛け声のもと、ハンギングバスケットの普及や草花による沿道修景など様々な取り組みがなされている。多くの市民も各戸でポット苗を育てたりし、それぞれに関わってきているのに、今一つ盛り上がり感に欠けるとの評は否めない。「美しい」は気恥ずかしいのが盛岡らしいからかもしれない。
『150年前から、さりげない(なんでもない)のが盛岡らしい』のだから。
いっそ『さりげなく(なんでもなく)清潔な街・おもてなしの街』を標題にした方が多くの市民が素直に「かかわりを表現できる」かもしれない。

(E・S・モース:明治初期アメリカから来た生物学者で東京帝国大学初代生物学教授。民俗学者でもある。日本ではあの「大森貝塚」の発見者として広く知られ、ダーウインの「進化論・種の起源」を日本に広く紹介した先駆者として著名)
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盛岡城跡公園からの岩手山の眺望の復元の意味を考える〜「さあどうする !これからの盛岡第7回」〜 

NPO都市デザイン総合研究センター理事長
(工博・岩手大学名誉教授) 安藤 昭
前回は,ポストモダンのまちづくりの目標は「近代化のまちづくりの修復にある」ことを指摘し、アウトドア・アクティビティ(野外体験活動)からのまちづくりの必要性について、特にスポーズ・ツーリズムからのまちづくりの必要性について述べた。今回は、同様の視点から、盛岡の都市のアイデンティティ(Identity)(個性)とは何かを検討し、表題の盛岡城城跡公園からの岩手山の眺望の復元の意味について述べる。
ところで、一般に近世城下町はわが国の都市の典型であると言われ、現在では、県庁所在地の都市の約7割が城下町起源の都市であることを認識しておく必要があると思われる。それでは、城下町起源の都市・盛岡のアイデンティティとは何であろうか。平山城として親しまれている盛岡城跡を眺望できることであろうか。あるいは、岩手山や北上高地に代表される大山高丘を展望する東部丘陵地帯があることであろうか。はたまた、清流・低丘の中津川、北上川、雫石川の3河川が市街地において合流し南下していることであろうか。
私は、これまで、城址仰望の盛岡城と大山高丘を展望する東部丘陵地帯と清流低丘の中津川、北上川、雫石川の盛岡の都市の骨格ともいうべきこれらの3つのタイプの景観が,それぞれにおいて視点―視対象、視対象―視点という相互関係をもって共存しているという優れて特殊な景観的構造をなしている点に注目し、この3つの景観の視知覚的構造が盛岡の都市アイデンティティであると考え、この視覚的構造をわかりやすくすることこそが城下町起源の都市盛岡のアイデンティティの創出であるということを一貫して強調してきた。
先日、平成27年7月上旬から始まる岩手教育会館の建て替えに当たって、盛岡城跡公園からの岩手山の眺望が復元されるということを知ったが、盛岡城跡公園からの岩手山の眺望の復元は、既に述べたように、盛岡の都市の骨格ともいうべき優れて特殊な景観的構造のアイデンティティを強め、都市のブランド力を増すという意味をもっている。そのため、この地点における眺望の復元は、盛岡市の景観行政の久々の大金星であると言っても過言ではないと思えるが、今後も持続的な眺望の確保が必要であることを考えれば、この眺望の復元という事例は今後の盛岡における「近代化の修復のまちづくり」のスタートであると捉えたいものである。
盛岡城2の丸からの岩手山の眺望 ando.png

写真-1 盛岡城城跡公園からの岩手山の眺望の確保
(7月初旬に撮影の予定;撮影筆者)

人口減少は悪いこと? 〜「さあどうする!これからの盛岡」(第6回)〜  

               都市デザイン総合研究センター 理事 中澤昭典

少子化・人口減少危機論が百家騒乱の様相である。
50年後には日本から東京以外の集落が消えて無くなりそうな論調が飛び交っている。
ところで人口が減って本当に何が問題で、誰がどの程度困ることになるのか、どうもはっきりした話が見えてこない。
日本の人口が1億2千万余から8千5百万人へと2/3に減少する。GDPは世界第2位から転落する。だからどうだというのだろうか?、今より何が悪くなるのだろうか?
経済産業省の論は少し具体的に、「少子高齢化に伴い総人口に占める生産年齢人口の比率が低下するため、生産年齢人口に対する労働力率が上昇しなければ、全人口に占める労働力率が低下してしまう」と。しかし、これにも反論がある。「機械化などの技術開発により、生産人口比率の減少を生産効率の向上が上回るようになるので、生産能力の問題に関しては、人口減少はそれほど問題とはならない」と。更には、「人口増加率と生産効率は反比例の関係にある」というのが、経済学者の間では有力な説である。
大企業経営者は人口減少による国内需要の減少に危機感を抱いている。企業規模の拡大が望めなくなるからだ。
しかし、一般市民の立場に立てば少し違う見方もできる。企業規模が縮小ざれ雇用が減少するが、労働人口も減少するのだから求人倍率は変わらない。
GDPが減るが、人口も減るのだから国民一人当たりのGDPは変わらない。むしろイギリスの銀行などは、日本の一人当たりGDPは人口減少とともに上昇し2050年には世界のトップになると予想しているほどだ。
そもそも日本のGDPが世界第2位や3位であることに何の意味があるのだろうか。いま日本の一人当たりGDPは世界で24位だということをみんな知っているのだろうか。
ちなみに、日本より上位の国で人口1億人以上の国はアメリカのみである。人口が多い、GDPが大きいということと国民が豊かだということは比例していないのだ。
人口減少と高齢化は先進国共通の現象であるのだから、短期的にどうこう出来る問題ではない。だとすれば流れに逆らって無駄なエネルギーを費やすよりも、現状を是認しそれを受け入れたうえで、その中での幸せを探すほうが現実的であろう。
まちづくりは人口減少に向けて考えてゆけばよい。地価が下がりゆったりと暮らせるもの悪くない。北欧諸国のように。
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大通り商店街に賑わいを求めて ~さあどうする!これからの盛岡(その5)~ 

                 都市デザイン総合研究センター理事 鷹觜紅子
近年、大通り商店街を中心とする市街地の賑わいが薄れてきたと感じているのは、私だけではないと思う。
以前は、出来るだけその近隣に土地を買って家を建てる事がステータスであった。又、大通りの飲食店で一杯飲んだ後タクシーに乗らずに、歩いて帰宅できる市街地の中心部にマンションを所有することは他のものから見れば憧れに近いものだった。ところが、盛南地区の巨大開発により居住の場をその地に求め移住する人が増加した。市街地の中心部にあるからこそ意味があると思われてきたマンションも数多く建設された。大型ショッピングセンターや全国展開している店舗も同じである。自家用車を移動手段とする地方都市では東京等の大都市圏で売っているものがすぐ買えるとあって皆、足を向ける。その結果、中心と思われてきた大通り商店街がいつの間にか中心ではなくなっていた。
思い返せば、暑い夏休みや寒い冬休みには、大通り商店街に隣接する県立図書館のレファレンスルームの机を確保する為に、私も朝早くから並んだものである。面白いことに当NPOのNさんも並んだらしい。勉強もしたが、同世代の若者たちが集まるその場に、わくわくする様な何かを感じた。休みの時の私たちの居場所であった。図書館を出た後は、皆大通り商店街を通って帰宅の途についた。そしてまた翌日、同じ様に場を求めて図書館に足を運んだ。今、図書館は盛岡駅西口のアイーナに移転した。今も高校生達は、夏休みに限らず学校帰りにも、場を求めてアイーナに足を向ける。若者たちも大通りから居なくなった。
しかし、人の移動が変わったとしても昔から受け継がれている街は今もちゃんと存在している。まち角に立ってまち並みを見回したとき、心に訴え続ける景色がそこにはある。歴史があり、思い出もある。大通り商店街はあまり高い建物もなく、道幅も狭く、道路を行ったり来たりして買い物をし、個人商店のおじさんやおばさんと会話もできる人間スケールの丁度いい商店街だと思う。
今、新たにそこに若者たちが集まる場を創る事は難しい事なのだろうか?近くに川があり、城跡公園があり、自然を満喫できる場があっても、それは大人の場であって若者たちが求める場ではない。例えば、大通り商店街にある空き店舗の一部を若者たちの場として提供するのはどうであろう?ルールを決め、それさえ守れば何をしてもいい場所。子供が集まれば大人も集まり、歴史ある商店街に再び息吹を吹き込むことが出来るのではないだろうか。古き良き昭和の景色が、そこに見える様な気がする。
大通り 大通り1



子どもたちの記憶に残る「盛岡のまち」をつくる! ~さあどうする!これからの盛岡(その4) 

              都市デザイン総合研究センター 理事 佐々木栄洋

少子高齢化が本格化し、人口減少が続く我が国において、中心市街地の衰退は深刻な問題であり、まちの求心力を高め、中心市街地を活性化させようと全国各地で様々な取り組みが行われている。盛岡も例外ではないが、これまでの盛岡のまちづくりを評価する人は多い。これは盛岡のまちづくりが直面した問題に、関係者が真摯に向き合い、取り組んできた成果であり、脈々と受け継いできた盛岡人の心意気もあって、実現してきたのではないだろうか。  
しかしながら、盛岡のまちづくりも新たな局面を迎えていると感じる出来事が数か月前にあった。
この出来事に触れる前に、今から30年以上も前の、私の少年時代の出来事に触れたい。遠野市で生活していた私にとって「盛岡へのお出かけ」は一大イベントであった。親から「盛岡に出かけるぞ」と聞くと、飛んで跳ねるくらい喜び、はしゃいだ。残念ながら子どもの頃の記憶でいい思い出というのはあまりないが、盛岡に家族で出かけた日のことは今でも覚えている。わがままを言って親に怒られたとしても盛岡での一日は、いい思い出になっている。子どものくせに隅から隅まで大通りのことを知りたいと思った。子どもにも魅力的な「空間」が当時の大通りにあったと思う。
さて話は、数か月前の出来事に戻る。大人になり盛岡で十数年間仕事をした私は、今の生活拠点の遠野と同様に盛岡に対しても愛着心が強い。盛岡にはよく来るのに、いつも用を足すとすぐに遠野に戻るため、これまで家族と盛岡の中心市街地でゆっくりと過ごすことなどなかったが、今年の1月、息子と大通りでゆっくりと1日を過ごす機会を得た。この機会に息子にも大通りの良さを伝え、楽しい思い出となっている大通りで息子にも何かを感じてもらいたいと思っていた。しかし、大通りは当時とはあまりにも変わっていた。家族で楽しく過ごせる空間を見つけることができなかった。きっと息子も「魅力ある大通り」を感じることはなかったと思う。
岩手県内、そして盛岡には「まちづくりのプロフェッショナル」と呼ぶにふさわしい人がたくさんいる。しかし、まちづくりはプロフェッショナルと呼ばれる専門家のみがつくり上げるものではないし、専門家のみが都市問題を解決する術を持っているわけではない。住民の創意と知恵を結集することが必要である。すべきことは多いと思うが、子育て世代の力を結集し、大通りで一日を過ごそうとする家族連れが増えるような空間をつくり上げたい。今の子どもたちに盛岡の中心市街地の良さを伝えないと大変な時代が迫ってくる。子どもたちの記憶に残るまちづくりが今求められている。
大通り

盛岡地元観光にでかけよう ~さあどうする!これからの盛岡(その3)~ 

               
                都市デザイン総合研究センター 理事 中澤昭典
「盛岡は最先端の観光都市である」。それを理解している人は盛岡にどれだけいるだろうか?
 では盛岡の観光資源は何か?
その答えは戦後の都市計画の権威石川栄耀博士の次の言葉に中に見つける事ができる。
「盛岡は名都である。盛岡の観光資源は盛岡市そのものである」と。その意味するところは、「何となく心地よい街」、「何とはなしに美しい街」、その質の高い日常風景が都市観光の重要な資源であるということなのだ。
 ところで、都市観光の観光客はどこから来るのであろうか。東京都観光統計によると、東京を訪れる観光客の99%は国内から、そのうち都内から52%、首都圏近隣も含めると約70~80%、海外からは1%ちょっとだけなのだ。この傾向は京都でも同じで、観光客の70%は京都を含む近隣地域からである。
 都市観光とは「先ず隗より始めよ!」なのだ。
 それでは盛岡市民のための盛岡観光とはどんなものなのだろうか。
 私のお勧め盛岡観光のひとつを紹介しよう。
まず、都心循環バス「でんでんむし」に乗って街を眺めながら1周してバスセンターで下車。八幡宮にお参りしてぶらぶら歩きながら肴町商店街へ。中高年のブティック「みかわや」で普段着の買い物。商店街を出て信号を渡って「六文儀」で“シャンソン”と珈琲で一服。葺手町「お不動さん」の前を通って、駄菓子の老舗「関口屋菓子舗」、“しょうゆ団子”と“たんきり”がお勧めだ。
関口屋
昼食は近くの蕎麦処「若園」で好物の“やさい蕎麦”。店を出て向かいの「長澤屋」でお土産に“黄精飴”を買おう。紺屋町に抜けて“アンチック市”を冷やかしながら歩くとコーヒーの香りに惹かれて「クラムボン」へ。壁面を飾る市井の芸術家の展示を眺めながら自家焙煎の珈琲をゆったりと一服。そこから2分ほど歩いて「盛岡正食普及会」へ。歯の弱い人には勧められない最硬(?)のお菓子、“ロシアンビスケット”を購入。上の橋から鮭の遡上眺めながら川沿いの道を散策して、「ひめくり」で雑貨を物色。そうこうしているうちに日も暮れてきたところで桜山さんの「MASS」へ。滝沢の武田哲さんが合鴨農法で栽培したお米をかまどで炊いたご飯で夕食。お酒はもちろん合鴨農法美山錦純米吟醸「芳梅」。
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もう一軒と「みかんや」に間借りしている「クロスロード」でギターのライブを聴きながらバーボンを一杯。調子が出てきたところで中の橋を渡って「アッカトーネ」で本格多国籍料理とワインで今日の小さな旅の余韻に浸ろう。
 こういう心地良く質の高い日常が潜んでいる街が盛岡なのだ。
 さあ、でんでんむしと自転車と徒歩で、日常の中にさりげなくちりばめられている、きらりと光る小さな心地良さを発掘しに、盛岡地元観光探検に出掛けよう!
地元観光


美しく豊かで住みやすい復興まちづくりのために 

                 都市デザイン総合研究センター理事 阿部賢一

東日本大震災からまもなく4年を迎え、各地では復興事業が着々と進行し、宅地や住宅が完成し、新居へ住み替え本格的な生活再建へ踏み出している頃だろう。ここに辿り着くまでには、地元自治体や専門家、設計会社、住民が一体となり、多くの時間をかけてまちづくりのあり方を色々と検討してきたと思う。
しかしながら、その多くは、時間制約や地形的条件、予算制約などのために、本来行われるべき都市デザイン的な検討が十分行われずに、基礎的な住宅地としての機能や量を満たすために都市基盤整備が行われ、宅地が供給され、ともすると画一的、無機的な空間整備に止まり、美しく豊かで住みやすいまちという視点が不足している地区もあるのではなかろうか。
本来、まちづくりはそれぞれの土地の特性や気候風土を反映して、数十年、数百年の長い時間をかけて形作られるものである。また、優れた景観のまちでは、街並み形成や建築のルールが定められ、さらに、現地の伝統的な工法や技術、材料を活かしながら建築し、長い時間をかけて街並みを醸成し、これを地域の人々は大切に守り育ててきた。
さて、復興まちづくりにおいては、都市計画法の「地区計画」として建物用途や壁面線、建築物の形態又は意匠、かき又は柵の構造に関する制限が定められている地区が多い。しかしながら、地区計画だけで優れた景観の住宅地が形成されることは難しい。地区計画に加えて、「建築協定」、「緑化協定」などを制定すると共に、住民自身が美しい街並みを形成するという共通の意思が重要となる。
また、街並みの景観形成においては、建築物の形状や材料などが大きく左右する。さらに、樹木が街並みの美しさを形成する大きな要素となる。基礎的な基盤整備の当初から豊かな植栽を施すことが難しい場合、将来の生育を見込んで街路樹やのり面、宅地内などに植栽を施すことによって数年後には緑豊かな潤いのある街並み景観を創出することになる。また、建築などの素材はできるだけ地場産材を活用することにより地域になじんだ、やわらかい統一感を醸し出し、美しい街並みが形成される。
全国一の森林資源に恵まれた岩手県では、森林組合や建築士事務所協会、工務店などが中心となり、地場材の活用による被災者向けの寒冷地・高齢者・低価格仕様などの住宅開発に取り組んでいる。これがもっと地域内に展開することによって、美しい街並み形成だけでなく、地域資源の活用による産業の振興、雇用の場の創出、地域内経済循環構造の形成につながるものである。                                                            これからも子々孫々は、この地で数百年、数千年にわたり生活をするわけであり、愛着を持てる美しく豊かなふるさとを再生していくことが重要であり、さらに復興まちづくりを進めてもらうことを願うものである
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さあとうする!これからの盛岡(その2)アウトドア・アクティビティからの観光まちづくり —2020東京オリンピック開催決定を契機に— 

                NPO都市デザイン総合研究センター理事長  
                 安藤 昭    Akira ANDO
                    工博   岩手大学名誉教授
      アウトドア・アクティビティからの観光まちづくり
       —2020東京オリンピック開催決定を契機に—
 
 近年,我々は多くの危機に直面している.地球生態系保全の危機,社会規範崩壊の危機,社会組織溶解の危機,そして個人の心の空洞化をもたらす高度情報社会の危機がこれである.そして,2011年3月11日発生の東日本大震災は,これらまちづくりの課題の克服を一層困難なものにしてしまった.西洋文明圏の都市を追って間もなくポストモダーンに突入する日本文明圏の都市の重要な課題は上述の「近代化の克復」であると言えよう.
 このような中,幸運にも2013年9月8日,7年後の2020年に「オリンピック・パラリンピックの東京開催」が決定した.周到な準備をされた関係各位の歓びは言うまでもないが,2014年11月21日にオリンピック委員会によって「一国における複数都市での開催が可能」と決定されたことから,現在は国民の参加意識を高められるかどうかが課題となっている.
 ここでは2020年の「オリンピック・パラリンピックの東京開催」を,わが国の近代後半におけるまちづくり課題克復のための好機として捉え,ここでは,アウトドオア・アクティビティ(Outdoor activity)からのまちづくりを提唱したい.中でも,東日本大震災後の人口減少・少子高齢化の著しい東北地方の市町村においては,「新しい東北の創造」「成熟社会」「スポーツ」「健康福祉」「ゆとり・安らぎ」をキーワードとするアウトドア・アクティビティからのまちづくりが,特にスポーツ・ツーリズムからの観光まちづくりが望まれる.
 ここに,アウトドア・アクティビティとは野外体験活動のことで,陸上競技,サッカー,ラグビー,テニス,ゴルフ,ワンダーフォーゲル,ラフティング,カヤック,アルペンスキー,パラクライダー,キャンプ,ハイキング,登山,トレッキング,釣り,海水浴,ピクニック,山菜取り,バードウオッチング,森林浴,家庭菜園,農林漁業体験等がある.環境教育や野外学習さらには自然体験を含むとされる.
具体的には,対象領域(テリトリー)が10,150㎢と,現在,世界最大の規模であるスエーデンのベルクスラーゲンエコミュージアムの7,500㎢を上回る規模を有する北上川博物館(愛称;アイポート)に注目し,これに野外体験活動を含むサチライトを随所に導入して新たな北上川銀河博物館として再構築することが考えられる.このような観点から,盛岡の市街地を貫流し,背景に秀峰岩手山を随所に戴く北上川上流域の観光ラフティングによる盛岡・北上川の地域ブランド化事業等のスポーツ・ツーリズム事業の今後の展開は大いに期待されると言える.
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 北上川博物館構想 スポーツツールズム



         
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