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地域の歴史を学んで災害から身を守ろう!(論壇 第12回) 

          都市デザイン総合研究センター理事 中澤昭典
先頃の鬼怒川と宮城の渋井川堤防決壊に伴う報道に中で、被災した住人が「今まで何十年もここに住んでいるのにこんなことは初めてだ」「ここがそんな危険な場所だとは知らなかった」と話すのを聞きながら、寺田虎彦の「災害は忘れたころにやって来る」という言葉を思い出した。
災害が起こる度にこういう言葉が繰り返して語られるが、それは災害の発生サイクルに比べて人間の寿命短いためにそういうことになるのだ。実はその場所はもっと長い歴史を紐解くと災害常襲地域であることが多い。
ところで、日本列島は火山列島、災害列島と言っても過言ではない。地質学的にはプレートの衝突と沈込み、そして火山噴火により、日本の大地は現在も変動しながら形成過程にある。さらに、モンスーン地帯に位置するため、台風や豪雨の常襲地域でもあるのだ。
国土の2/3は山地、国土の約10%の河川氾濫区域内(低地)に人口の約50%,資産の約75%が集中していると言われている。
平野部は河川氾濫、山沿いは火山や地滑り・土石流、海岸では津波。日本中どこにいても自然災害に遭遇する可能性がある。
それでは岩手はどうなのだろうか。北上川の西側はグリーンタフという地層で1千数百万年前の海底火山の噴出物や海底地滑り堆積物が数千メートル積み重なっている地盤であり、今も隆起している最中だと言われている。また北上低地西縁断層帯や1896年に陸羽地震を引き起こした川舟断層など活断層の動きも活発である。
盛岡は3川合流地点で水陸交通の要衝に築城して発達しきたが、常に水害に悩まされてきた記録が残っている。中でも明治43年9月の大洪水は中津川に架かる上ノ橋、中ノ橋、下ノ橋の他、北上川の明治橋も流出、私の母校の城南小学校(当時は現在の杜陵小学校の場所にあった)などが半壊流出するなど、市の中心部の甚大な被害を及ぼした。
さて、今回大災害が発生した鬼怒川には日本有数規模ダム群が構築されていたが、降雨分布がダム下流側に集中したためダムは洪水を防ぐ効果を発揮できなかった。自然災害に対する備えはダムや堤防などかなり整備されてきてはいるが、自然はその想定を軽々と超すことは起り得ることであることを最近の災害は再認識させている。
堤防などが整備され過去の災害が記憶から薄れるにつれて、自然をコントロールできたという思い上がり生まれてくる。そのことが、過去の洪水浸水地帯に都市開発を広げ、被災の危険性を拡大させてきている一面がある。
災害が起こる度に人災だなどと他人のせいにしても後の祭りである。自分の住む場所の歴史をしっかり学び、自分の身は自分で守る気概を持つ必要がある。
市民の歴史探求館提供資料-明治43年盛岡市大水害被災図 市民の歴史探求館提供写真-明治43年中津川大水害県知事官舎(現在の県民会館) 12回



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