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盛岡はどのように国際化に向かうのか 

都市デザイン総合研究センター理事 佐々木栄洋
日本政府観光局(以下JNTO)が昨年12月16日に発表した統計によると、2015年1~11月の訪日外国人客数は1,796万人に達し、2014年の年計を超し過去最高を記録した。残念ながら私の日常生活において、外国人が増えていることを感じる機会はあまりないが、東京や大阪に行くと年々日本を訪れる外国人が増えていることを実感する。さらに驚くのは、訪日が増加している国は特定の国に限ったものではないとう調査結果であり、韓国、中国といった隣国をはじめ、アジア諸国、欧州、北米など世界的規模で広がっており、日本を訪れたい人が世界中にいることである。
近年、人口減少にともなう社会問題が各方面で活発に議論されており、その対策の一つとして訪日外国人を増やす施策が国策として取り組まれている。我が国の文化遺産の世界遺産登録、全国の自然遺産の鑑賞を目的とした訪日プロモーションはその表れである。これに加え、JNTOでは、円安基調の継続と消費税免税制度の拡充による買い物需要、航空路線の拡大、燃油サーチャージの値下がり、近年の査証免除や要件緩和など様々な好条件が相まった結果が訪日外国人増加の要因と分析している。
この分析結果に異を唱える人はいないと思うが、これ以外の要因がいくつも存在すると考える私に、日本人以上に日本をよく知り、日本を愛する外国人たちは、「日本の魅力は実に奥深い。日本を愛する私たちのような者は決して特別な存在ではなく、日本に興味を持つ人は潜在的に多い」と力説する。その後、決まって私は、「日本はどうしたらいいと思う」と尋ねるのだが、その多くが、「国際化への道を誤らないことだ」という回答で返ってくる。そして、日本の「おもてなし」は世界を凌駕し、おもてなしを体験しようと日本を訪れる外国人が増えていることで話は盛り上がる。
都市の国際化を推進する我が国において、現在の状況は望ましい潮流といえるかもしれないが、私は違和感を覚えることが少なくない。脈々と受け継がれてきた伝統と文化が漂う厳かな空間での目に余る行動、商品を買い漁るといったいわゆるバク買い、外国人による犯罪、投資目的による不動産の取得など、日本社会として対応に苦慮する場面も頻繁に報じられる。
そもそも我が国では地方都市の国際化をどのように捉え、どのように進めていくのかという議論が盛んに行われているだろうか。特に、私たちが暮らす岩手、盛岡が5年後、10年後、どのようにして国際化を迎えようとしているのか、私はとても関心がある。
 都市経済学の分野では、「都市再生・国際化・地域経済の活性化」というキーワードが地方都市には必要であるといった考察が示されている。都市再生によって国際化の潮流に対応し、地域経済の活性化を図るのである。都市再生とは、限られた資金や資源を都市部に投入し、これまでの都市ストックと民間の力によって都市の活力を回復し、地域発展の牽引力にしようとするものである。つまり、都市において、活力の源となるべき資源をひきつけるための「基盤の整備」や企業や人材を受け入れるための「仕組みの構築」を行うのである。国際化に対応した都市再生によって地域経済を活性化させるというのは、基盤整備や仕組みを構築するにあたって、その対象を海外の資本、技術、人材に拡大し、これらの資源を積極的に受け入れることによって、地域の発展、生き残りの道を模索しつつ、グローバルな競争関係と協力関係を新たに構築することである。そのためには、地方公共団体や地域企業が、自らのストロングポイントを再認識し、それを国際的な水準まで高めるための努力を継続することが必要となる。
強いリーダーシップに期待するのではなく、志あるものが集い、皆の知見を収斂し、勇気ある一歩を踏み出すことが必要ではなかろうか。まずは、盛岡市民、岩手県民の「国際化をどのように迎えるか」という議論が、今後盛んに行われることを期待する。
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イメージ調査から見た居住系地域の グランドデザインの課題について    ―盛岡市上田黒石野平地区を事例としてー 

さあどうする!これからの盛岡 第19回
NPO都市デザイン総合研究センター理事長
(工学博士 岩手大学名誉教授   安 藤 昭
平成26年6月6日(土)に、盛岡市上田黒石野平地区の景観写真105枚を用いて実施した地区住民(緑ヶ丘3丁目の住民:成人男女50名)による生活景の評価実験の直後に実施した当地域のイメージ調査の解析結果を図―1に示す(景観写真による生活景の評価実験の結果は、平成27年10月19日付の盛岡タイムスに掲載)。 
調査対象地域は、上田黒石野平地区を中核として、東側を南北に走る梨木町―上米内線と、西側を北から南へ向かって流下する北上川に挟まれた地域で、南側に位置する高松の池と北側の標高2、711m(比高110m)の大森山(大森山の山麓の一部は小鹿公園)によって囲まれた住居系地域で、黒石野中学校の学区別人口17、700人(平成27年7月23日現在)を念頭において設定したものである。 当地域は、北東部に位置する黒石山(標高251m;比高約91m)の西側山麓のなだらかな傾斜面と北上川左岸の河岸段丘上に拓かれた住宅地で、住宅地内からは黒石山が眺望でき、地区内の緑ヶ丘小学校と高松小学校及び黒石野中学校からは盛岡市の象徴である岩手山が眺望できる。北方に位置する四十四田公園からは四十四田ダムを俯瞰し岩手山を仰望できる。また地区の要所からは美しい北上川流軸景のアイストップとして岩手山を眺望でき、地区の南に位置する高松の池(高松公園)は日本の湖水百選に選定されるという風光明美な住宅地である。
地域を貫通する市道上田―深沢線沿いの近隣商業地域には近隣商業などのサービス施設がある。地区の要所には、公民館、地域活動センター、児童老人福祉センター、児童センター他の公共施設が配置されており、公園・グリーンプロットは大小10か所あり、その一部には抽象彫刻や具象彫刻が設置されている。当調査対象地域は現在でこそ黒石野パークタウン(東黒石野1丁目)や上田グリーンヒルズ(黒石野1丁目)、緑ヶ丘ヒルズ(緑ヶ丘2丁目)のように区画整理された団地も見られるようになったが、昭和44年の黒石野平町内会発足(360世帯)当初から自然発生的に発展してきた住宅地であるため、区画街路は歩道も少なく、複雑に屈折しているところが多い。
そして、近年は、当調査対象地域においても全国の都市に見られるところの人口減少、少子高齢化に伴う“空き家“の対策が重要な課題になってきている。
上述のように、黒石野平地区は盛岡市における近郊居住系地域の典型であることが知られるが、図―1に示された地区住民のイメージ調査の解析結果を通して、盛岡市における居住系地域におけるグランドデザインの課題と展望についてまとめれば以下のように示される。
黒石野平地区のイメージマップ (1) 
1.黒石野平の地区イメージは、地区を南北に貫通する市道上田―深沢線によって分断されている。
そのため、市道上田線―深沢線の西部から北上川の東部一帯のイメージ再生率(%)が低い。
2.黒石野平地区には緑ヶ丘小学校を中核として高松小学校と黒石野中学校があるが、それぞれ3つの学区は市道上田―深沢線と庚申窪―三ツ割線によって分断されている。そのため、学区の再編を検討するとともに、これを契機に地域社会のイノベーション(変革)を図ることが望まれる。
3.近隣商業地域にはアネックス・カワトクを始めとする地域の核店舗が存在することが認識されている。景観写真を用いた生活景の調査においても、地域住民の都心部への主要な交通機関であるアネクス・バスのサービスに対する評価が高かった点が注目される。
4.緑ヶ丘3丁目の街路構成は、住区内幹線街路、区画街路、グリーンモール、山麓線等の多くの街路が認識されていることが知られる。しかし、景観写真を用いたインフラ機能空間の評価は4類型の中で最も低かったことから、街路機能空間の個性表現が必要であると思われる。
5.高松の池(高松公園)、黒石山、岩手山、北上川等の生物的環境(自然)に対するイメージ再生率(%)は高い。中でも高松の池のイメージ再生率は非常に高いことが解る。そのため、これらの生物的環境の維持管理に努めるとともに、黒石野平地区との一体整備が望まれる。
6.平和の礎(佐藤忠良・具象彫刻)(1994)、時の化石((松川善幸・抽象彫刻)(1989)等の、黒石野平地区に10個以上存在する野外芸術作品のイメージ再生率は極めて低い。この結果は野外彫刻の選考の方法に問題があるように思われる。今後、彫刻を設置する場合には、住民参加方式等によって検討することが考えられる。
高度情報化時代を迎えて、地球的規模でメガシティ(Mega city;人口800万人以上の都市)が急成長し巨大都市圏が形成されつつある中、地方中核都市盛岡市の住居系地域のグランドデザインの課題は多い。
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「心地良いまち」を目指そう 

都市デザイン総合研究センター 理事 中澤昭典

アメリカの心理学者のマズロー(1908年~1970年)は、人間の欲求を次の5段階に分けて表せるとした、「1.生理的欲求」「2.安全の欲求」「3.所属と愛の欲求」「4.承認(尊厳)の欲求」「5.自己実現の欲求」。これを大きく2つに区分して、1〜2を物質的欲求、3〜5を精神的欲求に区分されるとしている。
マズロー

それでは、このフィルターを通して盛岡という都市を見るとどうなるだろうか。藩政時代からの治水対策や町の区画整備、そして戦後高度成長期を経て、松園団地を始めとするニュータウン建設、盛岡バイパス道路や盛南開発などが進められた結果、住宅不足や交通渋滞が解消され、不足するインフラを充足させる形は出来上がってきた。20世紀までの都市づくりは、このように「不足を充足すること」により「物質的欲求」を満たすことが主眼であり、この点から見ればかなりの成果を上げてきたと言える。
しかし、21世紀に入って人口減少という歴史的な大転換の波が押し寄せてきた。盛岡をはじめとする地方都市では、人口減少と高齢化が同時に進行し始めており、これまでの拡大路線からの転換を余儀なくされてきている。
さて、それではどういう街づくりを目指せばいいのだろうか。市内中心に住む高齢の女性は「最近は安心して街を歩けない。ちょっとでも油断すると車にはねられそうになる」と嘆く。これまでのまちづくりにより道路網は整備されてきたはずであるが、整備の指標は経済発展のための効率的輸送路としての道路整備が中心であった。しかしこれから求められるものは、高齢者を含めてそこに暮らす人々が心豊かに暮らしていけるまちづくりである。マズローの唱える「精神的な欲求」に応えられる街である。
私はそこに「心地良い」というまちづくりの指標を提案したい。
「美しいまち」「きれいなまち」「清潔なまち」「楽しいまち」「自然豊かなまち」「賑わいのあるまち」「のどかなまち」・・・・。これらを包括する「心地良い暮らしのできる、居心地の良いまち」である
盛岡というまちは、特に街並みが美しいわけでもなく、特に活気があるわけでもなく、特別な観光名所があるわけでもない。しかし、住んで、暮らして、訪れてみて「何となく心地良いまち」なのである。
岩手大学都市計画教室で長く教鞭をふるった安藤昭博士は、これからの街づくりに対して「近代化の修復」を提唱している。20世紀の物質的な都市拡大に対して精神的な欲求を満たす街づくりが追い付いていないということだと私は解釈している。
人口減少と高齢化に対応したまちづくりは全国的な課題である。「近代化の修復」を図りながら「心地良いまち」を目指すことはどういうまちづくりなのだろうか。まちづくりとは模索である。
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スマホが地方都市を生き返させるか〜さあどうする1これからの盛岡第17回〜 

                  都市デザイン総合研究センター 
                          理事 中澤昭典

スマートフォンの出現により、歴史的なビジネスシステムの大転換が始まろうとしている。そしてそれは、ビジネスにおける大都市の絶対的な優位性を低下させ、地方の可能性を広げる大きな力を秘めている。
 銀座は日本一のショッピング街であり、東京1千3百万人の商圏を抱えている。盛岡の人口は30万人で東京の40分の1弱である。単純計算では東京で月に100万円売れるものを盛岡で売っても2万5千円しか売れないことになる。
さて、私は最近ネットでの買い物が多くなってきている。その理由は、なんとなく買い物に出かけてショッピングする時間がないことと、目的の商品をお店で探しだすことができないためである。先日も事務用の椅子を買おうとして市内最大規模の家具店に出かけてみたが、イメージに合うものが見つけられなかった。そこでネットで検索すると家具店の10倍以上の商品を画面上で比較可能になった。しかも口コミ情報まで掲載されており、実店舗より詳細な情報を得ることができたのでそこから購入した。しかし、このネットショップの会社がどこにあるのか私は知らない。消費者にとってこのショップの所在地は銀座だろうと網走であろうと関係ないのである。
 ここで逆の立場、販売側に身を置いてみると、盛岡に居ながら銀座と真っ向勝負が可能であるということになる。
 この話を聞いて「な〜んだ、ネットショップの話か、そんなことは20年前から聞いているよ」という声が聞こえてくる。しかし、去年までと今年からでは世界が全く違ってきている。
 去年までは私を含めてネットで物を購入する人は自宅でパソコンから注文していた。パソコンを操作する時間は会社から帰っての夜の時間か休日であった。しかし今年からはスマホで「何時でも何処でも」ショッピングが可能になった。さらにスマホは小学生も持つ時代になった。今の中年が高齢者になる頃には、老若男女殆ど全員が個人のスマホを持つようになるだろう。ネットの販売側から見ると購買層が飛躍的に拡大することである。
 さて、この状況を都市という視点から見てみる。
スマホ普及によるネット社会の拡大は、資本と立地条件という大きな壁が取り除かれて、小資本地方立地のショップが、銀座のデパートと対等に戦える土俵が用意されたと見ることができる。この土俵を活用して地方で経済的自立が可能になれば、無理して住宅事情が悪く物価の高い大都市に住む理由は少なくなる。地価が安く住みやすい地方居住、地方起業も選択肢に入ってきて、地方都市に光明を与えるかもしれない。
人口の多寡とそこに住む人々の幸せ感覚は必ずしも比例しない。街の人口が減少してもネットの活用による経済的に自立が為されれば、環境の良い地方都市が再評価される可能性が十分にある。
旧来の経済システムにしがみついて人口減少を嘆いていても時間の無駄。ネット社会の歴史的大転換の波に乗って、「山椒は小粒でもピリリと辛い」美しい住みよいまちづくりを行うことが地方都市の目指すべき道ではないかと私は思う。
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あらためて 「価値を上げると」ということ 

都市デザイン総合研究センター理事
             中村 正
 まち中の紅葉・黄葉が美しい。
そして、なんとなく静寂で清澄だ。
自然(自ずから然り)な秋を感じ、盛岡の【宝】だなぁーと思う。
盛岡の良さを無垢に表現できているのは「景観」なんだ、との思いを強くした。
曾て(25年ほど遡ることになるのか?)さまざまな場面で「アメニティ-」という用語が頻繁に使われた時代があった。         
快適性、居心地の良さなど、計量しきれないその場の価値を表す概念とされ、その土地の価値を高める主要なことと位置付けられた。《らしさ》とも代意され、盛岡でも「盛岡らしさとは?」をテーマとした活発な議論が起き、百家争鳴の体になった記憶がある。
アメニティ―をかみ砕き、感性として身に着け、まちづくりに展開できることは「専門家の素養」とまで言われたほどであった。
また経済活動的、公共投資の視点からも、将来の人口減が見こまれる中で、将来に残すのにふさわしい社会資本(ストック)は、アメニティーの主要な構成要素を多様(文化性、歴史・文化性、自然性等)に包括する「景観」が一番だろうとの支持もあって、景観形成への取り組み盛んになった経緯がある。(美しい国ニッポン、観光立国ニッポン、クールジャパン~観光による地域間交流の活性化による流動人口の増加などへの貢献を見込んだ)
現在、観光で賑わっている所、様々に話題になっているまちなどを俯瞰してみると、京都、奈良、東京などは別として、四国お遍路、津和野、出雲、松江、川越、会津若松、金山、登米、角館等列挙したほとんどが「優れた景観地(景勝地であることばかりでなく、アメニティーを、そこはかと漂わせている所)である。     
ほとんどが、当時、あるいはそれ以前から景観資源(アメニティー要素)の掘り起し・保全・修復、復元、創造に取り組んできた所で、今【輝き】を発しつつあると捉えている。
盛岡は昭和40年代末(1970年代半ば)から「自然環境及び歴史的環境保全」を切り口に主として定住者を意識した、景観(歴史・風土、佇まい、暮らしの作法なども含む)を、まちづくりの指標の一つと捉え、様々で、独自的施策を展開してきている。また景観形成ガイドラインの作成にいち早く取り組むなど先進的であり、最近では景観法適用都市となり、法的整備を進め、景観計画の策定、町屋再生、城址を中心としたまちづくりなどにも取り組んでいる。こうしたことに着目すると市民の目線からも期待できる街として、高い評価があっていいと思う。
が、なぜか取り組みが「輝きを発している、発するだろう」との感動(エモーション)を呼び起こしているかどうか疑問に思う。町並みや個々の建造物、清冽な水や空気、緑の景色等さまざまな要素が【綾なす】構図、構造(暮らしなども含めて)になっていないのかもしれない。改めて総合化(あえてアメニティー化という)の取り組み(再評価→保全・修復・再生・創造)がこの地の価値を高める、感動を惹起する方策になるのではと考えている。
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人口はなぜ減少・移動するのか(都市デザイン論壇第15回) 

                        中澤昭典

人口減少が地域の将来に大きな問題となるという議論が続いている。人はなぜ集まり集落を形成しなぜ移動してゆくのだろうか。
人が集まり、集落が形成され都市へと発展するためには動機が必要である。人口移動の最も大きな動機は経済的な優位性である。農業、林業、漁業、あるいは鉱山など、経済活動に優位性があるところに人が集まり集落が形成される。そして、生産を拡大するため労働需要が発生し人口が増加する。生産が拡大すれば、物流や交換のため「市(いち)」が生まれ、それらを管理する「政治(まつりごと)」が行われる都市が発達する。
産業革命後には工業都市に工場労働需要が発生し、農村から都市部に人口は移動し、都市はさらに拡大発展した。都市人口を養う食料生産のため、開墾が行われて農地は山間部や沖積平野にまで拡大してきた。
大雑把に見ると20世紀まではこのようなトレンドの中で、人口が拡散し、都市は拡大してきた。
しかし20世紀の終盤から、地球規模での情報化や物流の発達により世界的な分業が急速に拡大し、新たな人口の流れが始まった。
先進国では、より生産性の高い3次産業に経済がシフトしてきた。GDPの3次産業の占める割合は、アメリカ79.4%、ドイツ69%、イギリス78.9%。日本も先進国の例に漏れず、3次産業が73.2%で1次産業の占める割合は僅か1.1%まで減少してきている。この結果、先進国では肉体労働から知的労働へと労働市場が変化し、さらに、生産部門の機械化や管理部門がコンピュータ化により効率化が進むと、労働市場全体の中でも少数精鋭化が進んできている。
さらに、サービス業などの3次産業は人口集積地にあることが有利であるため、地方都市から中核都市へ、さらに中核都市から大都市へと、これまでの分散の流れが反転して、都市への人口集中移動が始まってきている。
一方家庭では、子供の教育負担の増加などから少子化が進み、アメリカを除く全ての先進国で合計特殊出生率は2.0を下回ってきている。
このように世界中全ての先進国で、少子化と都市への人口集中が大きな潮流となってきている。
さて、このような大きな歴史の流れの中で、地域はどのようになっていくのだろうか。
岩手県の人口は100年前には80万人だったものが、高度成長期には140万人を超えた。しかし、1次産業や鉱山の衰退とともに減少に転じて、現在127万人まで減少してきている。盛岡市の人口も50年前には15万人だったものが、30万人まで拡大してきたがほぼ頭打ちとなっており、今後は徐々に減少が見込まれている。このように県内でも過去100年間は人口が大幅に増加し、これに対応するため、無理やり山を削り谷を埋めて人間の活動範囲を広げてきたのだったが、今徐々に縮小へと動き始めてきている。
このような流れの中で考えると、今始まった人口減少の流れは、産業構造の転換を反映して、過剰に拡散した人口を適正配置に戻すための調整と見ることもできる。
世の中の先を予測することは困難なことだが、大きな動きを鳥瞰してみることにより、そこから新しいトレンドを探し出し、新しい流れの中で次の時代に向かっていくことは必要だ。
人口や都市の問題においては、過去の成功体験にしがみついて無駄な投資を繰り返すことは避けなければならないが、必要以上に悲観論に傾倒する必要もない。街の変化や人口減少は世代をまたがって徐々に進行するので、短絡的な視点や政策に惑わされることなく、大きな流れや根本原因をしっかり把握して、じっくり腰を据えて取り組んでいく視点が求められる。
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生活景に対する共通認識醸成のための景観評価の解析 ―盛岡市上田黒石野平地区を事例としてー(都市デザイン論壇第14回) 

NPO都市デザイン総合研究センター理事長(工学博士 岩手大学名誉教授)
安藤 昭
上田黒石野平地区は、国道4号バイパスと交差して松園ニュータウンへ向かう市道上田―深沢線沿いの、盛岡市の中心市街地から北方約4㎞に位置する住宅地である。調査対象地域は、この上田黒石野平地区を中核として多少広く、東側を南北に走る梨木町―上米内線と、西側を北から南へ向かって流下する北上川に挟まれた地域で、南側に位置する高松の池と北側の大森山(標高2,711m、比高110m)によって囲まれた住居系地域で、黒石野中学校の学区と学区別人口で17,700人(平成27年7月23日現在)を念頭において設定したものである。調査対象地域は、北東部に位置する黒石山(標高251m;比高約91m)の北西部・西部・北東部・東部の緩やかな傾斜の山麓と北上川左岸の河岸段丘上に拓かれた風光明美住宅地で、住宅地内からは黒石山の全容が眺望でき、二つの小学校とひとつの中学校からは盛岡市の象徴である岩手山が眺望できる。当該地域には、現在でこそ黒石野パークタウン(東黒石野1丁目)や上田グリーンヒルズ(黒石野1丁目)、緑ヶ丘ヒルズ(緑ヶ丘2丁目)のように区画整理された団地も見られるようになったが、昭和44年の黒石野平町内会発足当初から自然発生的に作られた住宅地であるため区画街路は不整形で、複雑に屈折しているところが多い。地区の要所には、公民館、地域活動センター、児童老人福祉センター、児童センター他の公共施設が配置されており、児童公園・グリーンプロットは10か所配置されている。
景観写真105枚を用いて実施した黒石野平地区の景観評価実験の解析の結果を図―1に示す。
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図―1黒石野平地区の景観評価実験の結果
実施年月日;平成27年6月6日、場所;緑ヶ丘公民館/集合調査法による
被験者;地区住民成人50人(男子17名、女子33名)
なお、図―1は、①生物的環境、②インフラ機能空間、③文化現象としての景観、④心理現象としての景観という都市景観の典型的な4類型に基づいて整理したものである。解析結果を要約すれば以下のように示される。
1.高松の池、芝水園(釣堀)、旧競馬場跡地からの岩手山や黒石山の眺望、北上川の流軸景と対岸景、三ツ割からの岩手山の眺望、郊外農地(りんご畑)、小鹿公園等の生物的環境に対する評価が極めて高く、4類型の中で最も高い評価が得られた。
2.一方、国道4号線バイパス、上田―深沢線(主要幹線街路)、梨木町―上米内線(主要幹線街路)、庚申窪―三ツ割線(幹線道路)、高松―厨川線(幹線道路)、区画街路(1;緑ヶ丘ヒルズ)、その他多くの住宅地沿道、そして緑道(小道)等のインフラ機能空間に対する評価は、4類型の中で最も低い評価であったが、「どちらでもない」と言う評価の割合がとても高く、街路類型(性格)に関わらずに評価の差が少ないところが特徴となっている。
3.文化現象としての景観は、4類型の中では第3位の評価であった。高松神社、山祇(やまずみ)神社、岩手県営野球場、緑ヶ丘小学校、県立博物館、緑ヶ丘幼稚園、高松小学校等の宗教施設と教育施設に対する評価が高いのが特徴的である。
4.心理現象としての景観として、今回、注目したものは主として当該地域内の彫刻物10個であったが、4類型の中では第2位の評価を得ている。時の化石((松川善幸・抽象彫刻)(1989)、平和の礎(佐藤忠良・具象彫刻)(1994)、平和の記念像「望み」(増山俊春・具象彫刻)(1995)、VENUS-台地(長内努・やや抽象彫刻)(1992)に対する評価が極めて高かった。四十四田公園に設置されている抽象彫刻「時の化石」は背景の岩手山と作品との構図の構成がとても良く、高松の池の畔に設置されている具象彫刻「平和の礎」は近くで触れることができる身近で小さなかわいらしい作品である点が評価されたものと考えられる。
  以上の解析結果は、多分に、盛岡の多くの居住系地域の生活景の評価においても大略共通すると思われるので、本研究が地域住民の当該地域の生活景に対する共通認識を醸成するうえで有用な基礎資料となればと考えている。
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住まいの住まい方〜都市デザイン論壇第13回〜 

     NPO法人都市デザイン総合研究センター理事 鷹觜紅子
 今日この頃は、朝晩も涼しくなってきたが、うだるような暑さが続いた、8月のある日の午後、気の合った仲間同士で、夫々持ち寄った物を囲み、話に花を咲かせようと誘いがあった。薄暗くなってきた頃、ビールと枝豆、漬物を手に、うちわで扇ぎながらふらふらと歩いて出かけた。目指す家は道路を挟んで向かい側に、低層ではあるが70世帯は入ると思われるマンションがあり、またその向かい側には10世帯ほどのアパートが2棟建っている。その様な近代的なものに挟まれるように、板塀に囲まれた一角がある。格子戸をカラカラカラと開け中に入る。打ち水がされた石畳の両側には、松や道丹つつじ、つげ、アオキなどが植えられ、その根元には、ギボウシが敷きつめられている。
そこを通り、玄関に辿り着く。瓦葺の日本家屋がある。玄関の引き戸は開け放たれ、網戸が建てられている。その中には御簾の衝立が置かれ、風は通るが室内が見えないような工夫がされている。話に花が咲き、10時を回った頃、この家の居心地の良さにふと気が付く。日が沈んでも、まだ暑さが残る日であったが、窓から入って来る風が気持ち良い。風を知らせる風鈴の音が心地良い。そして、その家の天井が高いのが良い。思い出が刻まれた柱の傷が良い。真ん中に大きなテーブルを置いた広い台所が良い。奥の二間続きの和室が良い。その和室の長押にかけられた衣紋かけの着物が良い。とにかく家全体がゆったりとしている。そして、家のなかの話し声が外まで聞こえ、ご飯を食べている様子や何を食べているかが窺える。昭和の頃はよくあった光景である。いつの頃からか、住宅の性能ばかりが優先され、閉ざされた家が多く造られるようになった。その閉ざされた窓からは、家の中の声は外には聞こえない。また、外の声も聞こえなくなった。窓から入る風の代わりにエアコンが稼働し続ける。消防自動車のサイレンの音が近くで聞こえると思い、火災情報に問い合わせてみれば、隣の家が火元だった。などと言う事も有り得る。近頃は、個人主義が重視されアパートやマンションでも隣同士、知らないのが当たり前と思われる様になってきた。それは、一戸建ての住宅においても同じ事が言える。共同の井戸を囲み、家事をしながら、夫々の家族の話や生業の話、子供の話などをして昔から培ってきた共同体の精神が、どこかに行ってしまった。住まい方の変化が、そのまちのコミュニティーの在り方をも変えてしまう。住まいを提供する側も使う側も、それが全てとは言わないが、その町に家を建てる意味をもう少し考えてほしい。地域に溶け込む家を建ててほしい。又その様な住まい方をしてほしい、と常々考えている。
大慈清水  img029 (2)


地域の歴史を学んで災害から身を守ろう!(論壇 第12回) 

          都市デザイン総合研究センター理事 中澤昭典
先頃の鬼怒川と宮城の渋井川堤防決壊に伴う報道に中で、被災した住人が「今まで何十年もここに住んでいるのにこんなことは初めてだ」「ここがそんな危険な場所だとは知らなかった」と話すのを聞きながら、寺田虎彦の「災害は忘れたころにやって来る」という言葉を思い出した。
災害が起こる度にこういう言葉が繰り返して語られるが、それは災害の発生サイクルに比べて人間の寿命短いためにそういうことになるのだ。実はその場所はもっと長い歴史を紐解くと災害常襲地域であることが多い。
ところで、日本列島は火山列島、災害列島と言っても過言ではない。地質学的にはプレートの衝突と沈込み、そして火山噴火により、日本の大地は現在も変動しながら形成過程にある。さらに、モンスーン地帯に位置するため、台風や豪雨の常襲地域でもあるのだ。
国土の2/3は山地、国土の約10%の河川氾濫区域内(低地)に人口の約50%,資産の約75%が集中していると言われている。
平野部は河川氾濫、山沿いは火山や地滑り・土石流、海岸では津波。日本中どこにいても自然災害に遭遇する可能性がある。
それでは岩手はどうなのだろうか。北上川の西側はグリーンタフという地層で1千数百万年前の海底火山の噴出物や海底地滑り堆積物が数千メートル積み重なっている地盤であり、今も隆起している最中だと言われている。また北上低地西縁断層帯や1896年に陸羽地震を引き起こした川舟断層など活断層の動きも活発である。
盛岡は3川合流地点で水陸交通の要衝に築城して発達しきたが、常に水害に悩まされてきた記録が残っている。中でも明治43年9月の大洪水は中津川に架かる上ノ橋、中ノ橋、下ノ橋の他、北上川の明治橋も流出、私の母校の城南小学校(当時は現在の杜陵小学校の場所にあった)などが半壊流出するなど、市の中心部の甚大な被害を及ぼした。
さて、今回大災害が発生した鬼怒川には日本有数規模ダム群が構築されていたが、降雨分布がダム下流側に集中したためダムは洪水を防ぐ効果を発揮できなかった。自然災害に対する備えはダムや堤防などかなり整備されてきてはいるが、自然はその想定を軽々と超すことは起り得ることであることを最近の災害は再認識させている。
堤防などが整備され過去の災害が記憶から薄れるにつれて、自然をコントロールできたという思い上がり生まれてくる。そのことが、過去の洪水浸水地帯に都市開発を広げ、被災の危険性を拡大させてきている一面がある。
災害が起こる度に人災だなどと他人のせいにしても後の祭りである。自分の住む場所の歴史をしっかり学び、自分の身は自分で守る気概を持つ必要がある。
市民の歴史探求館提供資料-明治43年盛岡市大水害被災図 市民の歴史探求館提供写真-明治43年中津川大水害県知事官舎(現在の県民会館) 12回



さあ、みんな岩山へ行こう!~さあどうする!これからの盛岡第11回~ 

都市デザイン総合研究センター 理事 中澤 昭典

インターネット上に「日本の夜景100選」というサイトがあるが、この中に「岩山」が選ばれていることを盛岡人の何人が知っているだろうか。実は恥ずかしながら私もそのことを知ったのはつい最近、県外から盛岡に移住してきた人の情報からである。
一般的に地元の人は地元のことを正しく認識していない。都市景観については“灯台下暗し”が普通である。日常に目にする風景は珍しくもなんともないのだから当然であるともいえるが、しかし、よそ者は時として地元の日常の風景に中に秀景や逸品を発見する。岩山はまさにそういうもののひとつなのだ。
“夜景100選”は各県から1個以上選定しているから岩手県代表として県庁所在地の岩山が選ばれるのは当たり前と思う人もいるかもしれないが、実はその評価は並ではない。星印11個を獲得しているが、これは東北から北関東では唯一で「函館山」や「東京タワー」と並んで全国最高級の評価点なのだ。
岩山は夜景もいいが、昼の景観はもっと素晴らしい。景観工学的に分析すると、見下す角度、俯瞰する角度は10°が自然に視線の落ちていく角度だと言われているが、岩山からこの10°前後で俯瞰するとまちの中心部に視線が落ちる。このため、ゆったりと落ち着いた感覚をもって盛岡の街を見下ろすことができるのである。
もう一つ岩山からの視対象として重要なものは岩手山である。
さて、岩山から見る岩手山は中央部から右と左の2つの顔を持つ。山の形も右側は女性的な優雅なスロープ曲線、左側は男性的険しさと力強さを見せる。景観構造的にみると、右側は平野部から山頂まで連続してとらえることができるが、このことは一旦視線をおろし平地から山を見上げることにより、山に向かう視線に平行な地表面を捉えることできる。このため山までの距離感を認識しやすくなり、平野部から山裾を経て山頂までの連続した地形のダイナミズムを実感する雄大な眺望を感じることができる。一方左側は手前の低い山並が山裾を隠す不可視領域が作られているため岩手山までの距離感がつかめない。このため奥に存在する山は現実感を失うとともに神秘性が生まれる。このように岩山は、岩手山の2つの異なった存在感を見せてくれる貴重な視点場でもある。
盛岡にとって岩山の存在は更にもう一つ重要な意味を持っている。街のコンパクト化と市民の帰属意識に大きな影響を与えている可能性があるのだ。岩山からの俯瞰景は西側に連なる山々に境界が区切られることにより、山のこちら側(here)と山の向こう側(There)を無意識のうちにはっきり認識させる効果を生む。こちら側を意識することにより街全体に内輪感覚が醸成され、帰属意識や街への愛着を芽生えさせていると考えられる。
また、最近コンパクトシティー論が各地で唱えられているが、街が一望できることはコンパクトな街づくりを行う上で重要な必要条件の一つである。盛南開発により太田・本宮地区に新しいまちが出来てきたが、これらを含めて視野の中に一望できることにより街の一体性を実感できるのである。盛岡の町にも郊外化は進行してきてはいるが、それでもなお茫洋とした感覚を抱くことが無いのは、山に挟まれた地形構造だけでなく、市民が気軽に訪れることができる視点場としての岩山の存在に依るところは大きい。
さあ、みんな岩山へ行こう!

岩山2 無題


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